天外伺朗さんの「五十歳からの成熟した生き方」と梅田望夫さんの「ウェブ時代をゆく」

五十歳からの成熟した生き方―スピリチュアルな成長へのいざない

五十歳からの成熟した生き方―スピリチュアルな成長へのいざない

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

今年もたくさんの本と出会った。
特に印象に残った二冊が天外伺朗さん「五十歳からの成熟した生き方」と梅田望夫さん「ウェブ時代をゆく」である。本との出会いは、その著者との出会いでもある。天外伺朗さんは、本名、土井利忠さん、ソニーでCD,ワークステーションNEWS,AIBOの開発責任者を務めた方である。梅田さんは、「ウェブ進化論」でブレイクし、「ウェブ人間論」「フューチャリスト宣言」そして、この「ウェブ時代をゆく」で今、話題の方である。65歳と47歳という年齢の違いもあり、想定する読者層も当然違うこの二冊の本から、結果として多くの共通項を見出した。
どちらも、より豊かな人生を生きるための提案という共通の切口があり、またオープンソースという切口が、どちらにおいてもこれからの時代のキーワードとして登場する。
1998年に登場した「オープンソース」という言葉は、リナックスの登場によって、ビジネス、さらに社会において欠かせないキーワードとなった。しかし、オープンソースを語る上で忘れてはならないのが、伝説のハッカーリチャード・ストールマンにより前進してきた、その前身とも言えるフリーソフトウェア運動であろう。
天外伺朗「五十歳からの成熟した生き方」のなかで、著者は、ワークステーションNEWSを開発した当時(1985)を振り返って、フリーソフトウェア運動との出会いを以下のように記述している。

当時のコンピュータ業界は、インドで瞑想を習ったような人たちがたくさんいて、彼らがUNIXに流れていったのだ。必要な技術は学生たちが開発し、しかも誰もが無料で使えたため、インターネットはすさまじい勢いで発展していった。
私は、MITの学生が開発した、「エックス・ウィンドウ」というウィンドウシステムを積んだ、最初の商用コンピュータを開発した。そこでMITに連絡し、「ライセンスの交渉をしたい」と申し出たところ、「パブリックドメインだからご自由に」という返答を聞いて驚愕した。次第にわかってきたのだが、UNIXの世界はみんなそうで、すごい技術がみんな無料だったのだ。当時は、「コピーライト」とは正反対に、「コピーレフト」権が標榜されていた。つまり、ソフトウェアが開発されたら、そのソースコードをすべて開示するという思想だ。それを見た人は自由に使っていいし、改変してもいい。ただし改変したら必ず開示しなくてはならなかった。ソフトウエアは人類共通の資産で、無料で配布すべきだという思想を提唱した人は、ストールマン博士という天才的プログラマだ。(中略)私はもちろん、カウンターカルチャーの存在も、ヒッピーがたくさんいるのも知っていた。だが、私はジャズをしていたのでロックは騒がしいだけだと見下していたし、アメリカのヒッピーはマリファナくさいのがすごくいやだった。だが、UNIXの仕事をしたときはじめて、私はその精神的な世界の深さを知ったのだ。同時に、ロックの音楽的なすばらしさにも目覚めた。「お金を儲けなくては」「出世したい」と考えていた当時の私には、技術を無料で提供する彼らの存在は衝撃的で、私は次第に、「彼らの動機は何だろう?」と考えるようになった。

こうして、天外さんは、競争社会から自由になるという大きな流れの中で、精神世界と呼ばれる領域にのめりこんでいく。そして、インディアンとの出会いを通して学んだ内面の充実という老い方を提案してゆく。
一方、梅田さんは、これから社会へ巣立っていく若者にむけて、ITが大きく世界を変えている時代を豊かに(楽しく)生き抜く心構えを提案している。
「ウェブ進化と「好きを貫く」精神のなかで」という節のなかで

私は、オープンソースの思想と、それを支える「プログラマーという新しい職業人たち」が共有する「ハッカー倫理」とも称される新しい生き方の追求が、先進国の若者たちを起点に職業の枠を超え、世界中に広がる途上にあるのではないかと考える(第二章)。(中略)
新しい生き方の根幹には、自分が「好きでやりたいと思うこと」を求める強い衝動がある。
個々人がそれぞれ自発的に面白さとやりがいを追求するほうが、金銭動機で達成されること以上の成果をだすのだという確信が、オープンソース・ムーブメントの思想的基盤となっている。

と語り、ウェブ進化の周辺に起きているパラダイムシフトが大きな思想・哲学の芽となることを予感しているようだ。
 お二人とも、この競争社会(戦士の社会)が心豊かに生きられる社会へ少しづつ進化し始めているのを直感しているようにも見える。
最後に、天外さんが、いまどきの子供や若者について、次のように感じていることは、とても興味深い。

「戦士になるなんてまっぴらだ」と言う子供たちが増えてきている。社会の期待と子供たちの心に、距離ができているのだ。そんな子供たちは戦うのをやめ、競争社会からドロップアウトして不登校になったり、引きこもりになったり、ニートやフリーターになったりする。(中略)そういった若者たちを不甲斐ないと嘆く年輩者も多い。だがもしかしたら、競争という発想になじめない若者たちの中から、未来のリーダーが登場するのではないかとも思う。もちろん、この場合のリーダーとは、旧来のように強い統率力で人々を引っ張る指導者のことではない。おそらく未来のリーダーとは、社会的には目立たず、人々と競争することもないが、ひたすら存在することによって、周囲にゆっくりと深い影響力を及ぼすような人物だろう。