玄侑宗久さんの「釈迦に説法」

釈迦に説法 (新潮新書)

釈迦に説法 (新潮新書)

初めてのエッセイ集である。
三章に分かれ、それぞれに「渋柿のそのまま甘しつるし柿」
のようなタイトルが付いている。
人生の秋において、以下のような人生観の転換が素敵なことかなと・・・。

つまり人生は自己実現であるという思い込みを、あるところでやめるのである。
(中略)
自分の周囲に一人でも自分を必要としている人がいれば、その人が実現したいこと
に徹底的に「応じる」のである。
一見、それは攻めから受身へのシフトと映るかもしれない。しかしこうした徹底的に
「応じる」態度は、ある程度の自己実現が叶ったあとの応用編であり、その心の底に
は「わが身に起こることはすべて自分を学ばせ、深めるために起こる」という揺るぎない
「信」によってどんな災難や苦渋も味わい深い旨みを滲ませはじめるのだ。「渋柿の渋その
ままの甘さかな」というのはこうした事態のことだろう。

また、こうした人生に必要な「宗教心」について・・・。

私にとって宗教心とは、自他のなかに眠っている無限の可能性への信頼である。本来我々の
なかにあるはずの智慧や慈悲心を、仏教では観音さまで表すけれど、別にそうしたレトリックを
用いるまでもない。近頃進んできた遺伝子の研究でも、我々のDNAの九十七%はほとんどは眠っている
というのである。我々は、さまざまなチャレンジによってその眠っている部分を覚醒させていくわけ
だが、いわばそれこそが生きていく楽しみというものだろう。

徹底的に「応じる」こともチャレンジならば、新たな人生の楽しみに出逢えるような気がする。
玄侑宗久公式サイト/Genyu Sokyu Official Site